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サステナの歴史

1908年にドイツの細菌学者『パウル・エールリヒ』が母子免疫を発見したことからサステナの物語は始まります。

約半世紀後の1950年代に、アメリカの実業家『ラルフ・J・スターリ』が結核を撲滅する目的で、オハイオ州に『スターリ研究所』を設立しました。
当時の金額で1,000万ドル、現在の価値に換算してなんと500億円もの資本を投入して人類の為に研究が始まりました。

老化して、抗体を作る速度が遅くなってしまった場合、直接抗体を摂取すればよいという発想の元、研究は進みました。

1961年ついに『免疫ミルク』は完成し、アメリカの4つの医療機関で、データが蓄積されていきました。

1988年、当時商社マンとして薬の物流に携わっていた『大谷』(弊社代表取締役)が『免疫ミルク』の存在を知り国内に持ち込まれました。
60社もの製薬会社に営業しましたが、日本国内には『薬事法』(現在は薬機法)という法律があり、食品である以上医療機関で出したデータであろうとも、その内容を一般広告することはできません。
結果、販売手段が無いので、製薬会社が『免疫ミルク』を扱うことはできませんでした。

その中で、『野本亀久雄名誉教授』であれば食品であろうとも発表できるかもしれないとアドバイスを受けた大谷は『九州大学生体防御医学研究所』に向かいます。

野本教授は臓器移植と免疫学の分野で国内最高レベルの研究者であったため、大谷が九州大学に行ったときは、既に多くの研究所に研究テーマとして指示が出ていました。

当時、野本教授は『免疫ミルク』をトクホの第1号にしようとしていたので、日本の医療機関でも多くのデータが出されました。
結果は期待通りだったのですが、『免疫ミルク』は非常に大きな分子である抗体が主成分であり当時食品分野で免疫機能を標榜
すること自体がタブーであったためトクホは断念せざるを得ませんでした。

そこで、1995年から『スターリ・ミルク』という商品名で、いわゆる栄養補助食品として一部の薬局にて取り扱うことになりました。
1996年、開発者である『ラルフ・J・スターリ』が死去、ニューヨークタイムスで報じられました。
功績を称えられ、現在オハイオ州には『スターリ・アベニュー』と名付けられた道路があります。

2002年、『免疫ミルク』の研究に携わった研究者が『NPO法人 免疫抗体食品研究協会』を発足し、現在も研究は続けられています。

2003年、SARSコロナウィルスの流行により台湾政府の衛生省は、国民に免疫ミルクを推奨することになりました。

2008年、開発元である『SMBI』が出資して日本法人スターリジャパン株式会社が発足。

現在に至る。