終章「おわり」

1994年も終わりに近づく頃、キャサリーンは、左腕に鋭い痛みの続いていたラルフに医者に行くことを同意させた。彼は終世医者嫌いであった。検査結果は、首の後部にできた腫瘍。放射線治療でまもなく回復したのも束の間、病巣は次に前立腺癌となって顕れた。後半生、免疫ミルクを飲み続け、癌治療の効果を研究した彼自身が癌に侵されるという皮肉な展開であった。彼も周囲の者たちも「癌」という言葉は決して口にしなかった。2ヶ月に1度、ニューヨークのスローン・ケタリング病院に彼は通ったが、科学治療、放射線、手術等は受けていなかった。では、どのような治療を施されていたのか、彼は誰にも言おうとしなかった。キャサリーンの同行を拒み一人で通った。

91歳のラルフは、それでもスクーターで農場を廻り会社にも顔を出しベックたちとの 会議にも出席した。今まで通り、全ての実情を正確に把握しているよう努めた。

一旦は小康を得たラルフであったが、95年9月、通院中に転倒、骨折を機に衰弱は進み、家の居間にベッドを移し、あひるたちの水浴び、ホルスタイン牛の放牧などのどかな田園風景を眺めながら静かに最期の数ヶ月を送った。生涯最初で最後のゆったりとした日々となった。

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翌年1996年1月13日、ラルフ・スターリは就寝中に息をひきとった。葬儀の日は奇しくも彼の92歳の誕生日であった。全力で仕事をし、他人のために尽くすことを忘れず、人生を楽しみ、そして何より、強い意志と実行のあるところ、人のなしうることに限界はないことを身をもって示した一生であった。

ラルフの生誕100年が近づいた今(2004年)、SMBIは発展を続けている。ラルフの死後ほどなくして、会社は彼の家族の手から離れることとなった。ラルフ亡き後、どのように運営してゆくべきか判断が付きかねたからである。この決断は、単に経営上の財政的背景だけでなく、結果として人道上の見地からも最良の選択となった。今や、スターリミルク粉末は、世界各国で売られている。台湾、マレーシア、韓国、日本では、スターリの粉ミルクに加え、「スターリWPI」と呼ばれる新製品も広く愛用されている。アメリカで販売されている「スターリMPC」も、これらアジア圏でも売られ、最近ではこの濃縮タンパクのヨーグルト、豆乳、アップルソースなどへの応用も検討されている。

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SMBIを引き継いだスペンサー・トラスク・スペシャルティ・グループ(STSG)の理念は、20世紀に生きたラルフのそれと基本的に同じものである。すなわち、「21世紀を形作る目新しい発想を見つけだし、投資すること」にある。ラルフが存命であったなら、STSGが彼の仕事を引き継いだことをよしとするに違いない。STSGは、1879年トーマス・エディソンの電球発明に出資した歴史があり、ほかならぬエディソンをラルフは非常に尊敬していた。こうして今は新たなオーナーに委ねられたSMBIではあるが、ラルフのことは、決して忘れられていない。SMBI本社ビルを入る訪問者を迎えるのは今も彼の肖像画である。

現在もSMBIの経営に携わっているリー・ベック博士は、ラルフのことを懐かしく思い出さない日はない。「ラルフは数々の素晴らしい偉業を成し遂げましたが、人々が彼をもっとも思い出すのはスターリミルクを通してであろうかと思います。アジアではどこでも売られていますし、彼もそれを喜んでいると思います」と語っている。

― 完 −