第一章「はじまり」

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ラルフ・スターリは1904年1月17日、父フランク、母クニグンデを両親とした6人きょうだいの長男としてケンタッキー州ニューポートで生まれた。曽祖父の父とその妻が、1836年、現在のフランス北部のアルザスよりアメリカに移民、オハイオ州シンシナティ郊外に住み着いたのをルーツとする。

父は棒鋼メーカーのセールスマンであったが、ビジネス・センスに乏しくすこぶる消極的な性格の一方、何事にも積極的で強い個性の母親は、常に夫のあれこれを批判する当時としては例外的な恐妻であった。食卓で父の仕事内容について詰問する母を見て 育ったラルフは、彼自身の結婚生活では、その生涯において決して家に仕事の話をもちこまず、「ビジネスはビジネス、家庭は家庭、両者は決して交えてはいけない」というスタンスを崩さず、家族の前で仕事の話題をすることは滅多になかった。

上昇志向の旺盛だった母は、子供たちに小さい頃より鶏卵や家庭菜園の野菜を売るなどの役を与えて自ら収入を得ることの大切さを教え、ラルフに潜在意識として事業欲を植えつけたと考えられる。

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1年飛び級をして3年で終わった高校生活(アメリカでは通常中学は2年、高校が4年)1年の頃、産業市場では後にプラスチック、繊維、医薬品などに応用されるアセトンが開発されるなど、新たな化学技術が次々開発され始めていた。化学志向の強かった彼は、シンシナティ大学(UOC)の化学工業科に入学を予定していたが、運悪く、父親が投資の失敗から破産、彼は働かざるを得ないことになった。そこで、早朝4時には倉庫でスチールカッターの仕事を始め、その後午前数時間だけUOCで定時学生として受講し、午後倉庫にトンボ帰りで職工を続け、夕方にはオハイオ技術大学(OMI)で訓練を受けるという実に心身の磨り減る生活をすることとなった。大学での勉学を諦めきれなかったのである。ラルフが若年で家族への責任をも一部引き受けることとなったこの1921年、折しも第一次世界大戦後の不況を脱し活況の20年代へと好調な歩みを進み始めたアメリカの巷で、若者たちはこぞってファッションにジャズに青春を派手に謳歌し始めていた。この惨めな生活に終止符を打つには路はたった一つ、とラルフはあることを決意した。「他人の下で働くことは止め、自身の会社を興すこと」であった。この時、彼は僅か17歳であった。